自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
48回卒業生 笹川 友貴(国際基督教大学)
私が敬和で学んだことは人が「いること」を可能にする空間の重要さだと思っています。ずっと学校という場は私にとって「いること」が辛い場所でした。しかしながら敬和は、私がそこに「いること」を許してくれるような雰囲気がありました。いわゆる変わった考え方を持っていても、「いること」が辛くない空間が敬和でした。これは一人ひとりの生徒に対するケアの体制が整っている校風だからこそ可能だったのだと思います。
コロナ渦は、我々から「いること」を可能にする空間を奪っていくように思います。「感染防止対策」に従うことと、我々の居場所を存在させることが矛盾してしまう状況で、今までにない葛藤を感じながら大学生活を送っています。
大学ではジェンダー・セクシュアリティ研究、とりわけ1970年代以降の女性解放運動について学んでいます。女性運動に限らず、20世紀後半は様々な政治的連帯が世界各地で起こった時期でもありました。それは社会変革の為の団結という点でも重要ですが、社会に居づらいと感じている人々の居場所づくりを行ったという面でも重要であったと考えています。コロナによる分断に葛藤を持ちつつも、敬和で学んだことはこれからも考え続けなければならないことであるという点で、学問のモチベーションに繋がっています。
33回卒業生 渡辺 安之
(株式会社 花安新発田斎場 常務 取締役・月岡ブルワリー&KITCHEN GEPPO 支配人)
「求めなさい、そうすれば与えられる」
高校時代、尊敬する先生から「あなたはどうしたいんや」とよく言われたものです。答えを教えるのではなく、すでに自分の中にある「答え」を引き出してくれる先生たちと出会えたこと、そして各々の答えを探し、分かち合える一生の仲間と出会えたことが私の財産です。なんとなく英語の勉強をしておいた方がいいかなと入学しましたが、先行き不透明な時代に、自分で選択し、生きていく力を養ってもらい本当に感謝しています。
大学卒業後に県外で教師になりましたが、敬和のイメージとは少々異なりました。外の世界を見て今感じていることは、結局自分がしたいことは肩書にあらずということでした。今は教師ではないけれど、よっぽどやりたいことができていると思ってます。自分が楽しいのが一番という心の奥深くで、みんなが楽しい姿を見るのが楽しいと気づいたときに、自分のやりたいこととやるべきことも明確になっていきました。
未だ見ぬ自分自身の「答え」を今も探しています。いつかは死ぬから、明日死ぬかもしれないから、後悔しないように、楽しく死ねるように1日1日を生き切って、「毎日がお祭り」を実践していきます。
25回卒業生 宇野 緑(恵泉女学園大学 キリスト教教育主任)
「わたし、敬和なんです!」
この魔法の言葉でどれだけの繋がりを増やし、深く、豊かにしてきたことでしょう。卒業後もキリスト教関係の世界に繋がっているからこその状況かもしれませんが、日本全国、時には海外でも出会いを広げてくれます。敬和と出会ってから約30年。敬和で過ごしたのはたった3年間ですが、私の信仰・軸の原点はここにあるといっても過言ではありません。
牧師家庭で育った自分を社会のマイノリティとして受け止めていた私。けれど、敬和で同じような境遇の友人に多く出会い、学校・寮生活において「キリスト教」という存在が根底で流れる日々に自分が解放されたような感覚を覚えました。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)と、それを実践していた仲間や先生方。敬和での経験・体験が聖書の言葉と重なり、神の働きを実感したあの日々。そして今、これまでの歩みに与えられた恵みを思い巡らせながら、大学生たちに「神の愛」を等身大の私で語っています。
敬和が繋いでくれた様々な出会いがこれからも長いレールのように続き、私という列車にどのようなお客さまが乗車されるのか今後も楽しみです。