自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
中学生のみなさんに敬和学園についてご紹介します。
敬和学園は「自分探しの学校」と呼ばれることがあります。
敬和学園に興味を持つきっかけが「自分探し」という人も少なくありません。
卒業文集からも「自分探し」にひかれて受験した人たちが多くいることがわかります。
自分探しにひかれる理由はなんでしょうか。
それは多くの人が、今の自分を変えたい、新しい自分になりたい、と考えているからです。
敬和学園で自分探しをしたら、変わることができる、新しい自分になれるのではないかと期待して入学してきます。
人は何によって変わることができるのでしょうか。
自分を変える、新しい自分になるためには、どうしたらいいのでしょうか。
そのことについて、敬和学園で自分探しをした人たちの言葉が教えてくれます。
ある生徒の話です。
彼は周りからよくできる生徒と思われていました。
しかし自分では小さい時から、勉強が好きではない、成績が悪い、すぐにあきらめる、人間関係が上手ではない、と思っていました。
そして、そういう自分が好きではありませんでした。
自分はこのままではだめだ、何とか変えたいと考えていました。
彼は自分を変えてくれる「スイッチ」を探しました。
ところがそれは見つかりませんでした。
彼はイライラした気持ちになり、家族や周りの人に当たりちらし、ブスッとした表情で中学校生活を過ごすことになります。
そんな時に「自分探しの学校、敬和学園」という言葉に出会ったのです。
敬和学園には自分を変えてくれるスイッチがあると期待して入学してきました。
しかし期待して入ったにもかかわらず、自分をパッと変えてくれるスイッチを見つけることはできませんでした。
焦りました。
裏切られたと思いました。
ところがある時、徐々に変えられている自分に気づいたのです。
それを次のような言葉にしています。
「自分を変えてくれる力はごく身近に地味なものとしてありました。
うっとおしいと思える全校礼拝から始まる学校生活そのものの中にありました。
自分を変えてくれる、成長させてくれるのは、何か大きな力やかっこいい存在ではありませんでした。
ふっと笑ってしまう小さな出来事の中に、悲しくなったり痛みを感じたりする小さな出来事の中にありました。
毎日起こる小さな出来事や出会いが、ちょっとした言葉や会話が、そして自分に寄り添うようにいてくれる存在が、自分を大きく変えてくれる大切な時だったのです」。
この生徒の言葉から敬和学園が何を大切にする学校なのかが少しわかっていただけると思います。
それではさらにわかっていただくために「学校」「存在を大切にする」「能力を引き出す」をキーワードにお話します。
あなたは「学校」にどんなイメージを持っていますか。
学ぶための場所、年齢に応じた教育を受けるところ、社会性を身に着ける場所、さまざまなイメージがあります。
小学校から中学校まで9年間、そして高校の3年間で合計12年間、さらに大学の4年間・・・と考えると、実に長い時間を学校で過ごすことになります。
長い時間を過ごすだけに、学校が楽しい場所であってほしいものです。
ところで、あなたのこれまでの学校生活は楽しかったですか。
心から楽しめましたか。
学校を英語にするとスクールですが、語源はギリシャ語のスコレーです。
スコレーのもともとの意味に「暇、楽しむ」があります。
「学校」は本来楽しい場所なのです。
スコレーにはさらに「遊ぶ」という意味があります。
遊ぶというと、何か不真面目なイメージがありますが、「遊ぶ」には学ぶという意味が含まれていました。
スコレーの言葉通り、敬和学園の学校生活の特徴は楽しめることにあります。
そこでさらに大切なのは、楽しさの中心に何があるかです。
他の高校の生徒も学校は楽しいと感じている人が多くいます。
ただその理由は「友だちがいるから。友だちといると楽しい」からだそうです。
学校の楽しさは本来どこにあるのでしょうか。
それは学習すること、学ぶことです。
敬和学園の「授業」は楽しいのです。
楽しいとさまざまなことに関心や興味が持てるようになります。
授業が楽しくなるともっと学びたくなります。
わからないことをわかるようになる、知らないことを知るようになる、それが学ぶ大きな喜びと力になります。
わからないことや知らないことは恥ずかしいことではありません。
敬和学園はそれを大切にしてきました。
ですから安心して学ぶことができます。
安心して学校生活を過せるのは「存在を大切にされる」からです。
「存在を大切にする」でよく言われるのが、「敬和学園は一人ひとりを大切にする学校」です。
一人ひとりをいい加減に扱う学校などありません。
どの学校も一人ひとりを大切に教育していると考えています。
敬和学園と他の学校に違いがあるとしたら何でしょうか。
多くの学校はいい成績を取らせるために、その人の能力を大切にしています。
だから、成績が下がったり、テストの点数が悪かったりすると、励ます意味も込めて、ダメな人間と、厳しく叱られます。
けれど、いくら学力をつけるためとはいえ、人格を傷つけるような叱られ方をしたら、その人は自分が大切にされていないと感じるのです。
敬和学園が大切にするのは「存在」です。
勉強ができるかできないかによって、成績が良い悪いによって、その人の本当の価値が決まるものではありません。
その人がそこにいること自体に価値があると敬和学園は考えます。
それがキリスト教の価値観であり、人間の見方です。
人間は一人ひとり違います。
一人ひとりを大切にするというのは「違い」を大切にすることです。
そこに敬和学園が安心した学校生活が過ごせる理由があります。
さらに「大切にする」を聖書の言葉にすると「愛する」になります。
キリスト教の学校である敬和学園は「愛する」という方法で一人ひとりを大切にしているのです。
これは他の学校にはない感覚です。
敬和学園の生徒になるとは、何かの形で愛に触れ、愛される自分に出会うことです。高校の3年間を愛されることをベースに過ごすのかそうでないのかは、人生に決定的な違いをもたらします。
勉強、学習において、多くの学校はできるだけたくさんの知識を詰め込もうとします。そして知識を内側にたくさん詰め込める人、インプットできるのが能力のある人、優秀な人だと考えられています。
でも自分の考えを持って生きる人になるためには、知識のインプットではなく引きだすこと、アウトプットすることが大切です。
敬和学園は外側から詰め込むのではなく、内側から引きだすことを中心に教育します。
それはちょうどトレーニングで外側から見えない筋肉インナーマッスルを鍛えるのと同じです。
内側の筋肉を鍛えると体の中心がしっかりしてきます。
気力も湧いてきます。
内側の筋肉を鍛えるために大切なことは呼吸の仕方です。
体の中にしっかり空気を入れしっかり吐く、それによって体の中心線である体幹がしっかりしていきます。
敬和学園の学校生活は、一人ひとりが自分のリズムでゆったり息を吸ったり吐いたりすることから始まります。
敬和生の持つ内面的強さと生きることへの自信は、そして学ぼうとの強い気持ちは、安心して呼吸ができる学校の中で作られているのです。
最初に紹介をした自分を変えるスイッチを探した人は、能力ではなく存在を大切にされることで、そして愛されることを通して、自分の見方、受け入れ方が変わりました。
変わらないといけないと考えた自分を好きになることによって、ありのままの自分を受け入れることができるようになりました。
それによって、生きることや学ぶことに積極的になり、人と関わること、コミュニケーションを取ることが楽しくなり、将来への希望を持てるようになったのです。
人間の能力は真理と触れることによって引き出されます。
見えない存在と触れ、他者や世界と触れることによって、その人が持っている才能や個性が形になっていきます。
触れるイコール出会いです。
触れることによって、自分の持っている人格や生きる力も表に引きだされます。
敬和和学園は「触れる場面」「出会い」がたくさんある学校です。
一人になってじっくり考える時間の全校礼拝、できる限り小さい単位で行う毎日の授業、人とぶつかり合うことを恐れずに取り組むことのできる行事、自分の存在を真正面から受けとめてくれる寮生活など、人として成長するための、そして生きる力を持った存在になるための出会いがたくさん用意されている学校です。
あなたもいきいきと学ぶために、生きる力を持った人になるために、他の人と関わることが楽しいと思えるようになるために、ぜひ敬和学園に関心を持ってください。
そして入学を目ざしてください。