労作日記

労作日記

2024/06/26

労作日記(2024.6.25) 【3年大雪クラス】

6月25日(火)、3年生大雪クラスの労作です。

 だいぶ遅い梅雨入りとなった新潟。気温も湿度も高い中での労作となりました。手塩にかけて育てた玉ねぎの収穫は先週他クラスの労作で終了していたため、今週はこれから収穫となるナス、トマト、ピーマン、バジルの畝周辺の草取りです。

 また草取りかよ!という声も聞こえなくなり、「今日も草取りですよね?」という確認が増えたことに「学習の習慣化とは何か」ということの一端が見えたように思います。

 物事の習慣化は「考える」というひと手間を省いているとも言えます。朝起きて顔を洗う、歯を磨く、トイレで用を足す・・・いつからか誰もその意味や価値を深く考えたりなどしなくなります。そして幼いころに学び習慣化したことがらは、永続的な効果を持つようです。「考えないこと=悪いこと」と捉えられがちですが、考え学んだ結果が習慣なのであり、良しあしはあれど人が生きる術として先祖代々身につけてきたものでもあります。

 畑の状況はというと、各種雑草もここ数日の晴天とほどよい降雨の影響で、力強く根を張り始めており除草するのも一苦労です。畝の土をモリっとつけて根こそぎぬいてみると、抜け跡に大量のダンゴムシが発生していることに気づきました。「なんでこんなに多いんだ?」と生徒も気づいた様子でした。湿度も高く、食料となるものも多く彼らにとっては最高の環境かもしれません。植栽物を食い散らかしてしまうこともありますが、同時にカエルなどほかの生き物の餌にもなっています。本校のすべての畑は農薬を使わず栽培をするため土中に虫やその他の生き物が多く生息しています。自然の中の食物連鎖に任せている状態ですが、植栽物が虫によって食い荒らされるということも、幸いほとんど発生していません。

 自然の中に長年かけて組み込まれ、習慣化・自動化されているこの仕組みの偉大さを感じられます。そこにいる虫たちが、「我々は食物連鎖の下層に位置して、これからカエルに食われる。カエルも烏に食われる」などと考えてはいないでしょう。それでもそこで一つの役割を果たしています。深く考え学ぶことが重要であり当然ですが、その末に「そうなっている・そういうもんだ」という捉え方に至ることで、少し人生や物事に力を抜いて向き合えるのかもしれません。

 ちょっと疲れてきたら、ふと思い出す、かつて出会ったこんな詩を思い出す、今日の労作でした。

 

“なにもさうかたをつけたがらなくてもいいではないか

なにか得態の知れないものがあり

なんといふことなしにひとりでにさうなってしまふといふのでいいではないか

咲いたら花だつた 吹いたら風だつた

それでいいではないか”

 

(高橋元吉詩集『草裡I』より)

 

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