敬和の教育

東日本大震災と敬和教育

>> 「東日本大震災 被災者支援労作の記録」もこちらより合わせてご覧ください。

校長 小西二巳夫

shinsai01 3月11日に後に東日本大震災と名づけられた地震が発生しました。地震は1000年に一度と言われる大きな津波をもたらし、そして安全神話を根底から覆す福島第一原発事故を引き起こしました。これによって、多くのものがわずかな時間の中で奪われ引き裂かれ失われました。かけがえのない命、家族、人間関係、地域、家、仕事・・・。さらに経験したことのない原発事故によって深刻さは増していきます。震災発生の翌日、敬和学園高校の2011年度終業礼拝を行いました。わたしは礼拝の話の中で、震災に現場から遠くない、まさに新潟の隣の地域で起こった出来事と被災者に、神を愛し人を愛することを建学の精神に掲げる敬和学園として、どのように関わればいいのかを話しました。

 『 ・・・ 梨木香歩という作家がいます。ベストセラーになった「西の魔女が死んだ」が有名です。梨木さんが「ぐるりのこと」というエッセイの中で、しばらく前に起こった広島の平和公園に展示してある千羽鶴12万羽が焼かれた事件に触れています。

 千羽鶴に放火したのは大学4年生でした。就職活動などの悩みから、むしゃくしゃして、火をつけたらスカッとするだろうと実際にやってしまい、それをマスコミが大きく取り上げて、多くの人の知るところとなりました。この事件に心を痛めた人は多くいましたが、その中に大学生が在籍する学校の学生と教員がいました。彼らはこの事件が自分に深く関係することと考えました。同時にこのことによって一番痛んだのは被爆者とその家族、遺族と考え、その痛みを少しでも和らげるためにはどうしたらいいかを話し合いました。そこで8月6日の平和式典までに失われた千羽鶴を少しでも作って広島に持って行こうと、千羽鶴を折ることを大学内や知り合いに呼びかけたのです。彼らは失われた12万羽の千羽鶴が集まるとは思っていなかったようですが、マスコミがこの活動を取り上げたこともあって、最終的に集まった千羽鶴は30万羽を超えたのです。梨木さんも放火した大学生の行為に心を痛めた一人でした。彼女は千羽鶴を折る活動を知って、自分もすぐに手元にある色紙で千羽鶴を折り始めたとのことです。千羽鶴が焼かれるという出来事を、ニュースとして聴いて、顔をしかめているだけでは、遠いところの自分に関わりのないことになってしまうのを、梨木さんは千羽鶴を折ることによって、出来事を自分に関わることにしたわけです。わたしは、梨木さんの鶴を折るという行為と感覚が、わたしたちが日常生活を過ごすときに、ものすごく大切なことであることに、あらためて気づかされます。

 校長室の右側の本棚の前にポスターを入れたパネルを立てかけています。ポスターには次の文字が書かれています。「その被害今日に至るも甚大」。このポスターは1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災から1年後に札幌で開催をした写真展のものです。わたしもこの写真展を開催することに関わったのですが、ポスターを身近なところに置いているのは、阪神淡路大震災で失われた命、多くの重荷を負って生きなければならない人の存在を、自分の生活の中で忘れてはだめだと考えているからです。そしてその思いを自分の内側にとどめておくのではなく見える形にする、具体的な行動にすることを忘れないためです。

 昨日、東北地方の太平洋側を中心とする地域に巨大地震が発生しました。その全容はまだわかっていませんが、過去最大の地震の一つであること、その被害が甚大であることは間違いありません。全国の人、全世界の人がテレビやインターネットを通してリアルタイムで津波によって家や車が流され、飲み込まれていく様子を見ています。誰もが大変な事態になったと感じています。さて、そこからが大切です。少なくとも敬和生にとっては他人事ではありません。まずわたしたちの中に、具体的に言えば42回生、43回生の中に被災をした地域から来ている人がおり、家族との連絡がとれない人、安否がわからない人がいるということです。昨年卒業した40回生、ほんの1ヶ月前に卒業をした41回生の中に津波で家をすべて流された人がいます。4月に入学をしてくる44回生の中に被害を受けた人がいるのです。それだけでもっても、今度の地震災害はわたしたちに深く関わっていることがわかります。状況がわかるにつれて被害は大きく広がっていきます。そこで今、新潟に生きるわたしたちがするべきこと、できることは何でしょうか。それは祈ることです。被災者のために祈ることです。命を失った人のために、今救助を待っている人のために、家族を失った人のために、必死になって家族を探している人のために、そして救助に当たっている人のために、祈ることです。そして、この大震災をすぐに過去の出来事にしないことです。忘れないで、自分の出来事として関わりを持ち続けることです。関心を心の内にとどめるのではなく形にすること、行動に移すことです。できることはたくさんあります。身近なことから始められることはいくつもあります。明日、寮の先生が緊急の際のために備蓄している水などの物資をもって出かけてくれます。今の時点で確かなこととして言えるのは、4月から始まる敬和学園の2011年度はこの大震災と関わりながら歩むことになるということです。被災者支援献金をお願いすることになるでしょう。被災地支援労作も何かの形で行うことになると思います。そして何事もなければ当たり前に行うことになる学校行事も何事もなかったかのように行うことにはならないでしょう。敬和学園の日常の一つひとつを大震災と被災者とのかかわりの中で考えていきたいと思います。 ・・・ 』

 東日本大震災の被害が日増しに大きくなるにつれて、そして被災をされた多くの人たちのことをマスコミやインターネットを通して知れば知るほど、自分も何かしたい、何かできることはないかとの考えを内側に持つのは誰しも同じです。そうした内側にある思いをどのようにして外側に引き出すのかです。こうしたい、こういう人になりたい、そうした自分の内側にある思いを自分の力で外側に出し形にできる人は素晴らしい人と思います。その人は間違いなくいきいきしていますし輝いています。そういう人が世の中に増えたら間違いなく平和な社会になるはずです。敬和学園に学ぶ子どもたち、働く教職員も一様に同じ思いを持っています。しかし誰もが自分の内側にあるものを外側に出せるとは限りません。そこに教育の目的があります。敬和学園に学ぶ子どもたち一人ひとりが持っている思いを外側に引き出し形にしていくことが敬和学園の教育の大きな使命だと考えています。

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